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        HINO

        レース戦績 Race results

        TIMELINE FROM 1991 TOWARD 2019

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        2019 義正氏ドライブの1号車は、車両トラブルでリタイヤするも、ダカールラリー連続参戦記録を36年に伸ばす快挙

        2019
        • ダカールラリー2019は、ペルーを舞台に10日間の競技を終えて大会が閉幕。日野チームスガワラは、菅原義正氏の1号車が序盤の車両トラブルで戦列を去ったものの新型車両の2号車が安定した速さを発揮し、大型トラックのライバル勢を相手に総合9位を獲得するとともに、排気量10リットル未満クラスでは10連覇を達成した。そして今年、78歳を迎える義正氏のダカールラリー連続出場記録は、前人未到の36回に更新する快挙を果たした。そしてこのレースが、義正氏の日野チームスガワラとしてダカールラリー最後の参戦となった。

          菅原義正氏コメント

          2年続けてのリタイヤは本当に悔しい。応援してくださった方には感謝の気持ちと同時に、申し訳なく思います。一方で2号車が排気量10リットル未満クラスの10連覇を達成出来て良かった。その点は安堵しています。

        2018 序盤の砂丘にスタックし、義正氏の1号車は無念のリタイヤ
        チームは2号車がクラス優勝、部門総合でも6位に食い込む!

        2018
        • 日野チームスガワラは、ペルー、ボリビア、アルゼンチンの3ヶ国に渡って開催されたダカールラリー2018のトラック部門に日野レンジャー2台で参戦。義正氏ドライブの1号車は、ラリー序盤のステージ2において、車両の砂丘でスタックし無念のリタイヤとなったが、1983年にパリ?ダカールラリー(当時)の二輪部門に初参戦して以来、同ラリー史上最多となる連続35回出場の世界記録を更新した。
          チームは、菅原照仁ドライブの2号車が、同部門の排気量10リットル未満クラスで優勝し、チーム史上最多となるクラス9連覇を達成した。また大排気量エンジンを搭載した大型トラックが上位を占める中、同部門の総合順位でも6位に食い込む結果となった。

          菅原義正氏コメント

          広い砂丘地帯で、15メートルほどの高さを上る急な坂でスリップしてしまいスタック。車体をまっすぐにするために11時間も砂を掘り続けましたけど結局リタイヤとなってしまいました。
          コース設定も難しい中、2号車はよく頑張ったと思います。気持ちを切り替えて、次回改めてリベンジに向けて頑張ります。

        2017 1号車は、排気量10L未満クラス2位完走
        2号車はクラストップで、ワン?ツー?フィニッシュを果たす

        2019
        • 「ダカールラリー」の2017年大会は、南米パラグアイ~ボリビア~アルゼンチンを舞台に全行程約8000㎞にわたって開催され、日野レンジャーの2台体制でトラック部門に参戦した「日野チームスガワラ」は、菅原義正氏の1号車が排気量10リットル未満クラス2位で、総合29位?完走。
          菅原照仁氏の2号車は、クラス優勝を果たし、大型のライバル勢の中で総合8位を獲得するなど、5年ぶりのトップ10入りを果たすとともに8連覇を達成した。

          菅原義正氏コメント

          2号車が総合8位を獲れて良かった。
          自分も予定通りの走りで排気量10リットル未満クラスのワン?ツーが達成出来ました。
          まだまだ元気。応援して頂き、ありがとうございました。

        2016 過酷なコースを、義正氏の1号車はクラス2位でゴール
        排気量10リットル未満クラス7連覇を達成!

        2016
        • ブエノスアイレス(アルゼンチン)、ウユニ(ボリビア)、ロサリオ(アルゼンチン)を巡る、全走行距離9,000キロを15日間をかけて走りきるダカールラリー2016。大荒れの天候によって、不安定なステージ続く中、日野レンジャーを駆って日本から唯一トラック部門に参戦した日野チームスガワラは、義正氏のドライブする1号車は、総合31位/排気量10リットル未満クラス2位で見事完走!
          菅原照仁組の2号車は累積順位の総合13位、クラス1位に入り、同クラスの7連覇達成をワン?ツー?フィニッシュで飾った。過酷さ増す今大会では、2輪4輪を合せた出走台数347台に対してゴールしたのは214台で完走率は62%。トラック部門の完走は55台中41台と壮絶な戦いとなった。

          菅原義正氏コメント

          予測しづらい天候を読まなくてはいけないなど、精神的に大変なレースでした。でもみんなよく頑張ってくれて、完走することができました。難しい大会をゴール出来て幸せです。多くの人たちがゴールに出迎えてくれて嬉しい。まだまだ頑張ります。応援してくださった方々、どうもありがとうございました。

        2015 参加ドライバー最高齢となった義正氏は、
        3人体制でクラス2位完走

        2015
        • 今大会はブエノスアイレスを基点としてアルゼンチン、チリを巡るループ状のルートで14日間全行程8161㎞(うち競技区間3781㎞/いずれも事前の発表値)にわたって開催。出力を向上したA09C-TI型エンジン(排気量8866cc、最高出力630PS)や改良型サスペンションによって戦闘力を高めた日野レンジャーは序盤から健闘を見せ、14日間におよぶ過酷な競技の末、排気量10リッター未満クラスの2年連続のワン?ツー?フィニッシュを果たし、1991年の初参戦以来、連続24回目の連続完走も達成した。
          今大会の参加者ドライバー中、最高齢となった73歳の菅原義正がステアリングを握る1号車は3人乗車による体制強化も奏功。終始安定したパフォーマンスで2号車をサポートしつつ2位完走を果たした。

          菅原義正氏コメント

          想定していた通りの結果が得られ、ほっとしました。今回のラリーは歳をとったわりに調子が良く、気持ちよく走れました。クルマの改良と同時にトレーニングが効いたのかも知れません。若い人には、「ダカールは人生の学校だ」とよく言っているんですが、僕の成績が一番悪くまだ卒業させてもらえず、「在校生」のままでいます(笑)
          一方で、日野レンジャーは車もエンジンも小さいのに、果敢にライバルの大きいトラックに挑んでいく「リトルモンスター」と言われています。次回はさらに車を軽量化するなどして、もっと世界に日野の存在感を示したいと思います。

        2014 日野レンジャーが排気量10リットル未満クラスを完全制覇!
        クラス5連覇をワン?ツー?フィニッシュで飾る

        2014
        • 南米に舞台を移して6年目のダカールラリーは、アルゼンチンのロザリオをスタートし、13日の行程でチリのバルパライソにゴールする9209kmうち競技区間(=SS)5212kmで行われた。
          今回は2012年大会より3年計画で進めてきた新型レーシングトラック開発の総仕上げ。これを2号車として菅原照仁組が走らせる一方、菅原義正組が担当する1号車には、新開発の9リットルエンジン搭載車を先行投入して意欲的な布陣で臨んだ結果、1号車が総合32位で排気量10リットル未満クラス2位を獲得、2号車は、総合12位で同クラス優勝を果たし、目標であった同クラスの5連覇をワン?ツー?フィニッシュで飾った。

          菅原義正氏コメント

          新型車のテストドライバー役も兼ねて参戦したダカールですが、とても良い結果が出ました。
          もう少し熟成する時間が欲しかったというのが正直なところですが、とくに排気量10リットル未満クラスのワン?ツー?フィニッシュを親子で達成出来て感激しています。
          これも日野のメカニックのみなさんが不眠不休でがんばってくれたおかげで、満足のいく結果につながりました。支えてくださった皆さま、ありがとうございました。

        2013 1号車は、さまざまなトラブルにも負けず、クラス4位でゴール!
        2号車はクラス4連覇を果たす

        2013
        • 南米に舞台を移して5回目となるダカールラリー2013に日野レンジャーで参戦した日野チームスガワラ。電子制御化したエンジンのテストの位置づけで新型の1号車をベテラン菅原義正が担当。従来型を改良した2号車を菅原照仁が駆る布陣である。
          ラリーは1月5日にペルーの首都リマをスタート。チリ、アルゼンチンを経由して再びチリへ戻り、20日に首都サンティアゴにゴールする7901km(うち競技区間SS=3195km)で行われた。ペルー南部の砂漠で競技が始まると2号車が安定して排気量10リットル未満クラスの首位を快走する一方、1号車はタイロッド変形、接触によるリアボディ破損などトラブル続き、また標高3000m超のアンデス越えではオーバーヒートによりスローダウンを強いられた。その後、冷却系基幹部品の交換により復調したものの、悪天候によるSS中止なども重なって思うような順位浮上はならず、クラス4位、総合31位でのゴールとなった。
          一方、2号車は大型のライバル勢に分け入る走りでSSクラストップタイムを連発し、後続との差を拡大。総合19位でゴール。2位に8時間13分あまりの大差をつけて堂々のクラス4連覇を達成した。1号車も総合31位/クラス4位で無事完走を果たした。

          菅原義正氏コメント

          今大会は2回のステージキャンセルもあって、なんだか物足りない感じがしています。
          思うようにならないのがダカールラリーなんですね。でも1号車のテストという役目は果たせたかなと思います。今回はさまざまなトラブルもあったが、そのお陰で弱点が発見でき、来年の改善点が明らかになりました。これが、「挑戦」を続けることの意味だと思う。ある人の言葉だが、「成功の反対は失敗ではなく、何もしないことだ」といいます。私の乗る1号車は来年ももっと改造することになると思う。詳細はこれからなので、「乞うご期待!」とだけ申し上げておきます。

        2012 義正氏ドライブの1号車は、クラス3位でゴール!
        大会最多の連続30回出場、通算24回目の完走を果たす。

        2012
        • 南米が舞台となって4年目の今大会は、アルゼンチンのマル?デル?プラタからペルーのリマまで15日間で全行程8336km(うち競技区間SS4120km)のコースが設定された。2号車に8年ぶりとなる新型レーシングトラックを投入し、1号車も改良を施して臨んだ。
          3日目以降、2号車が排気量10リットル未満クラス首位に立ち、1号車がその後方から続く体制を築いた。安定してクラストップを快走した2号車だったがペルーステージに入りトランスファーのトラブルが発生し走行不能になる場面も。後方から追いついた1号車が整備の許されているニュートラルゾーンまで牽引し、駆けつけた4人の日野メカニックがその場で交換作業を行って事なきを得るなど優れたチームワークを発揮しながらその後も順調に歩みを進めていった。その結果1号車?菅原義正組が総合24位/排気量10リットルクラス3位、2号車?菅原照仁組は総合9位/同クラス1位の成績で2台揃ってゴール。チームは同クラス優勝と総合上位入賞という目標を達成した。今回で大会最多の連続30回出場となった菅原義正は、通算24回目の完走という記録を打ち立てた。
          また排気量10リットル未満の中型車ながら大型のライバル勢に分け入るシングルフィニッシュを果たした菅原照仁は、同クラス3連覇を達成した。

          菅原義正氏コメント

          序盤から投石を受けたり、後半では2号車を牽引したりと色々ドラマチックなこともありましたが、2台揃って完走出来てよかったです。自分にとっても30回の出場と24回目の完走はひとつの節目になりました。ありがとうございました。それにしてもペルーの人たちの熱狂ぶりにはびっくりですね。

        2011 日野レンジャー2台が歓喜のポディウム!日野自動車参戦20周年を市販車部門優勝と10リットル以下クラスの連覇で飾る

        2011
        • 南米での開催3年目となった今大会は、以前のアフリカとはまた違った過酷なステージが15日間約9500kmにわたって設定された。また、トラック部門には常勝チーム、ロシアのカマズをはじめパワーアップした900馬力級の大型勢が多数出場し、中型トラック日野レンジャーで上位を狙う日野チームスガワラにとっては厳しい状況だった。
          しかし2台の日野レンジャーは粘り強く健闘。パワー勝負の序盤戦では冷静にペースを保ち、チリに入って難易度の高い砂丘ステージが始まると一挙に順位を浮上させた。経験豊富な菅原義正組の1号車のリードもあり、2号車が市販車部門の首位に立ち、1号車とともに排気量10リットル以下クラスのワン?ツー体制をかためると、危険度の高い終盤のステージを落ち着いて走破。
          日野自動車が初参戦した1991年大会以来20年目の節目となる今大会で見事市販車部門優勝と10リットル以下クラスの1?2位を獲得した。そして改造部門の大型車勢に対し、市販車部門仕様の排気量10リットル以下の車両で総合9位に食い込んだ今回の結果は、日野レンジャーの優れた走破性と耐久性とともに、チームの総合力の高さを裏付ける結果となった。

          菅原義正氏コメント

          2号車が頑張って1位を獲ってくれ、自分も完走出来ました。
          この成績にはびっくりすると同時に満足です。みなさんのご支援?応援に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
          それにしてもゴールで雨が降るとは思っていませんでした。南米らしいハプニングですね。

        2010 義正氏の1号車は、トラブルで戦列を去り、連続完走がストップ
        2号車は、トラック部門市販車クラス?排気量10リッター未満で2冠達成!

        2010
        • 2010年ダカールラリーは、1月1日~17日にかけてアルゼンチン~チリで全行程約8,600kmにわたって開催され、日野チームスガワラは、日野レンジャー2台体制でトラック部門の市販車クラスに参戦。1号車(菅原義正組)は、後半2日目に排気系トラブルのため惜しくも戦列を去り、通算20年、日野レンジャーでは17年連続で自身が積み重ねてきたダカールラリーでの完走記録がストップしたものの、2号車(菅原照仁組)が、トラック部門総合7位、市販車クラス優勝、同クラス排気量10リットル未満優勝を果たした。
          レースは、前半戦から2号車が排気量10リットル未満の首位を争うと同時に、排気量を問わない市販車クラスでも上位につけた。後半戦初日には、2号車が市販車クラス、および排気量10リットル未満のトップに躍進。2号車は後続との差をさらに広げ、改造車クラスの大型勢を含むトラック部門で総合7位の高順位、市販車クラス?排気量10リットル未満いずれも2位に大差をつけてゴールし、見事2冠を達成した。
          ゴールセレモニーでは数千人の観客が熱狂的な声援を送り、ダカールラリーに相応しい賑やかさとなった。2号車の菅原照仁と1号車の菅原義正は、ナビゲーター、メカニックたちと共に手を振って声援に応えた。

        2009 初の南米大陸での開催、日野レンジャーは18年連続完走記録樹立
        菅原義正は前人未踏(大会最多)の20年連続完走という記録を達成!

        2009
        • 初の南米大会となる2009年ダカールラリーが1月3日~18日にかけてアルゼンチン~チリで全行程約9,600kmにわたって開催された。日野チームスガワラは今回参加カテゴリーをトラック部門の改造クラスに移行。新たにエンジン搭載位置を後退させ、ホイールベースを延長して前後重量バランスを改善するなど、大幅改良を施した日野レンジャー2台で出場した。
          中盤まで2号車を上回る快走を見せていた菅原義正がドライブする1号車は、競技区間の終盤の砂丘でフロントデフのトラブルのためスタック。総重量7トンに及ぶ車両を砂の中から掘り出す作業は困難を極めたが、懸命の脱出作業により8日のビバーク地、メンドーサに翌日夜8時頃到着し、車両は7名のメカニックによって早速修復されて競技を続行。ただし、タイムペナルティ100時間が加算されて順位を大きく下げたため、以後は2号車のサポートを務めることとなった。結果2号車(菅原照仁組)がトラック部門14位エンジン排気量10リットル未満クラスの2位に入る結果となり、1号車の菅原義正組も同部門26位、同クラス6位で完走。今回の結果により1号車ドライバーの菅原義正は前人未踏(大会最多)の20年連続完走という記録を達成し、主催者からもその栄誉を讃えられた。

          菅原義正氏コメント

          バンパーもフェンダーも無くビバークに帰ってくるトラックの姿は、これまでのレースでは見たことがなかった。これまでの経験上もっとも辛く厳しいレースであったことは間違いない。過酷な中に、多くのことを学ぶ。それこそダカールラリーとは、「学校」のような存在。チャレンジすること。諦めないこと。コミュニケーションの大切さ、チームワークの素晴らしさ。
          そうしたことを若い世代にもっと伝えていけるように、がんばっていきたいです。
          • * 20年連続完走:
            日野レンジャー以外の車両で参戦した菅原義正氏の記録を含む、1989年より2009年までの記録。

        2008

        テロの脅威を理由に、安全上の問題で中止

        2007 義正氏の1号車はクラス2位、総合13位でフィニッシュ。
        日野レンジャーがワン?ツー?フィニッシュを果たす!

        2007
        • 29回ダカールラリーは1月6日、ポルトガルの首都?リスボンをスタート。大会直前に治安上の懸念があるとして、見どころとされた一部の区間がキャンセルとなり、ダカールまでの総走行距離が7,906kmに短縮され、序盤からハイペースの争いとなった。
          20台以上のモンスターカミオンがひしめく中、2台の日野レンジャーも序盤からアタックを開始。初日のステージから難コースが続き、苦戦を強いられる各車を尻目に好位置をキープしたレンジャーは、総合9?10位/排気量10リットル以下のワン?ツー体制という大会前の下馬評を覆す好成績で前半戦を折り返した。
          後半戦に入り、逃げ切りを図りたいレンジャーに対し、トラブルで遅れていたモンスターカミオンが猛追をかけ、その差はジワジワと縮まっていく。パンク等のトラブルで若干遅れをとった1号車は総合13位でダカールに到着。トラブルを最小限に抑えた2号車はなんとか逃げ切り、総合9位を堅持したものの、排気量10リットル以下のクラスでは、ワン?ツー?フィニッシュを果たした。
          • * カミオン:
            フランス語で「トラック」のこと。ダカールラリーでは、パリダカールラリーの頃の影響でトラックのことをカミオンという習慣があった。

        2006 並居るモンスターカミオンを相手に、16年連続完走を果たす
        義正氏の1号車がクラス優勝、総合5位を獲得!

        2006
        • 第28回を迎えたダカールラリーはその歴史上初めてポルトガルをスタート地に選び、2005年の大晦日にリスボンをスタート。16日間、9,043kmの戦いが幕を開け、日野自動車は、チーム名を「HINO TEAM SUGAWARA」と一新し、菅原義正、照仁親子がハンドルを握る日野レンジャー2台で挑んだ。
          74台ものエントリーを集めたカミオン部門は常連のカマズ、タトラ等に加え、マンやイベコが新型のモンスターカミオンを投入、さらにレンジャーの直接的なライバルとなる10リッター以下の車両にもメルセデス?ウニモグなど強豪が名を連ねる中、2台の日野レンジャーはアフリカに渡って本格的な競技が始まると序々にポジションを上げ、義正組の1号車はビスマラとのタイム差をじわじわ広げながら、また2号車もビスマラとの差を詰めながらダカールに到着。タトラのベテラン、K?ロプライスがリタイヤしたことで、菅原義正組の1号車は総合5位、排気量10リッター未満クラス優勝、2号車は総合7位、同クラス3位でゴールを果たし、日野レンジャーは初参戦以来となる前人未踏の16年連続完走を達成した。出場台数69台中、完走台数は33台だった。
          • * カミオン:
            フランス語で「トラック」のこと。ダカールラリーでは、パリダカールラリーの頃の影響でトラックのことをカミオンという習慣があった。

        2005 義正組の1号車が総合準優勝!
        単独初参戦の照仁氏も6位入賞を果たし、ダブル完走

        2005
        • パリダカ史上最多となる689台が参加した2005年大会。
          未踏の15年連続完走&10リッター以下クラス優勝を目指す「TEAM SUGAWARA」は、97年以来8年ぶりに、菅原義正、照仁親子がハンドルを握る日野レンジャー2台という複数台で参戦した。この大会には、カマズ3台、タトラ3台、ダフ5台、ジナフ2台といった大排気量のモンスターカミオンが大挙参戦。直接的なライバルとなる10リッター以下クラスにも、元WRCチャンプがドライブするイベコ2台、侮れない速さを見せるメルセデス?ウニモグなど強豪が揃い、17日間、8,956kmの戦いが幕を開けた。
          大晦日、バルセロナの熱狂的な観衆の声援を受けカミオン部門の先陣をきってスタート。カミオン部門69台の内、半数近くを純粋なレーシングカミオンが占めた今大会は序盤から熾烈な戦いが繰り広げられた。そして他の強豪が悪戦苦闘する難ステージで義正組の1号車が2位、単独ドライブとしては初参戦の照仁組が4位を獲得し、一気に総合順位でも3位と6位に浮上した。中間地点となったアタールで、3名の日野メカニックによってリフレッシュされた2台のレンジャーは後半戦も快調な走りを続け、1号車が総合2位、2号車も6位入賞を遂げ、日野レンジャーは初参戦以来となる15年連続完走を達成した。

        2004 ヨーロッパ&アフリカの大地を、義正氏ドライブのレンジャープロが疾走!
        モンスターカミオンに負けず、堂々の総合5位でフィニッシュ!

        2004
        • 2004年のパリダカールラリーは、フランス中部の町?クレルモンフェランをスタートして、18日間でセネガルのダカールを目指す、総走行距離10,411kmを走破する。
          日野自動車はフルモデルチェンジとなるレンジャープロを、菅原義正氏が代表を務める「TEAM SUGAWARA」への車両供給という形で今大会に投入するとともに、メカニック3名を派遣。
          「TEAM SUGAWARA」からのプライベート参戦ではあるものの、カミオンの強豪チームを相手に体制を強化して挑むこととなった。
          1月1日、スタート地点には競技車両400台、アシスタンス車両195台が集結。カミオン部門に参戦する車両は63台となった。雪が降りしきる中、レンジャープロがカミオンのトップをきってスタート。3日間のヨーロッパステージをこなし、アフリカ大陸に上陸。レンジャープロは前半のロングステージで7位にジャンプアップを果たすが、800馬力のダフや2トンの軽量化に成功したカマズなどの先頭集団との差はじわりじわりと開いていく。
          後半戦も厳しいルートが続き、多くの車両がリタイヤしていくものの、レンジャーも負けじと上位タイムを連発し、ポジションアップを図る。そして、最後の難関と言われた15日目に、タトラ2台を抜いて遂に5位に浮上。そのまま猛追をしのぎきり、ダカールの海岸に大排気量のモンスターカミオンに食い込む、総合5位でゴールを果たした。

        2003 義正氏、強豪のライバルたちを次々と撃破し、
        我慢の走りで5位フィニッシュを掴み取る

        2003
        • フランス?マルセイユからスペイン、チェニジアを経由し、エジプト?シナイ半島の最南端に位置するシャルム?エル?シェイクを目指す、19日間に渡る長丁場を走りきる、2003年のパリダカールラリー。
          今大会よりカミオン部門のクラス分けが統合されたため、強豪と同じクラスでの戦いを余儀なくされることとなった。
          菅原義正がドライブする日野レンジャーは、3日間のヨーロッパステージを終えた後、フェリーでチュニスに上陸。いよいよ本格的なラリーがスタートした。アフリカステージに入り、レンジャーは快調な滑り出しを見せたものの、5日目のステージ途中でフロントのプロペラシャフトが脱落するというトラブルに見舞われた。幸いその日は二輪駆動で走りきり、ビバークで待機するアシスタンスカミオンの部品と交換し事なきを得て、レンジャーは中間日を前に6位まで浮上した。
          休息日明けの初日、これまでトップを快走していたダフがオーバースピードで砂丘から飛び出すアクシデントによりリタイヤを期し、レンジャーは5位に繰り上がる。ラリー後半のステージは砂丘あり、岩場ありのテクニカルなルートが続き参加者を苦しめたが、カミオンの上位組は果敢な争いを展開し、なかなかつけいる隙を見せない。レンジャーは最後のステージで2番手のタイムを出したものの、結局5位でフィニッシュを迎えた。
          • * アシスタンスカミオン:
            アシスタンスカミオンはメカニックやマネージャーなど主に人員の輸送を担当し、アシスタンストラックは大量のスペアパーツやタイヤなどの輸送を担当する。さらに、トラックには発電機やエアコンプレッサーなどが積まれており、ビバークでは砂漠の工場として活躍する。

        2002 パリダカ参戦20回目となる記念大会でクラス優勝
        義正氏の日野レンジャーが総合3位でダカールを駆け抜ける!

        2002
        • エア?メカニック*1が廃止されることとなった2002年のパリダカールラリー。
          中世を彷彿させる、フランス?アラスの古い街並みにある「英雄広場」に設けられたポディウムには、氷点下近く冷え込んだ外気をものともせず、1万人以上の観客とともに、参加するカミオンとそのアシスタンスカー*2総勢425台の車両が集結した。プライベート参戦が続く「TEAM SUGAWARA」は、今大会でパリダカ出場20回目*3となる菅原義正が日野レンジャーを駆り参戦。次男の照仁がアシスタンス部門のドライバーとしてハンドルを握った。
          カミオンの先頭をきってスタートしたレンジャーは、4日間の長いヨーロッパステージを無難にこなし、アフリカ大陸に上陸。アフリカステージ初日のショートステージで順位を落とすものの、その後は好タイムを連発し、徐々に上位に浮上。ロングステージで2番手のタイムを叩き出し、総合4位で前半戦を折り返す。モーリタニアの砂丘地帯がメインとなった後半戦に入ると、過酷なロングステージが続き、各チームがトラブルに見舞われて脱落していく中、レンジャーはラクダ草が300km以上続く我慢のステージで遂に3位に浮上。菅原義正は、出場20回目となる自身にとって記念となる大会で、そのまま3位をキープしてダカールにゴール。クラス別では見事優勝を果たし、日野レンジャーのクラス7連覇は前人未踏の快挙となった。
          • *1エア?メカニック:
            競技車両を支えるアシスタンスクラス(競技車両とはビバークを巡りながらサポート活動を行う部隊)は、以前はエア?メカニックが飛行機を使ってビバークを巡っていたが、2002年より休息日以外のエア?メカニックが禁止となり、現在では廃止されている。
          • *2アシスタンスカー:
            エア?メカニックに変わるものとして導入されたのが「アシスタンスカー」。これはメカニックやマネージャーなど主に人員の輸送を担当し、アシスタンストラックは大量のスペアパーツやタイヤなどの輸送を担当する。さらに、トラックには発電機やエアコンプレッサーなどが積まれており、ビバークでは砂漠の工場として活躍する。
          • *3パリダカ出場20回目:
            日野レンジャー以外のカテゴリーでの参加を含む

        2001 21世紀の幕開けを記念すべき大会に
        義正ドライブの日野レンジャーが準優勝を果たす!

        2001
        • 数時間前に21世紀の幕開けを迎えた2001年1月1日早朝。
          ほとぼりの冷めきらないパリの町が、再び熱気に包まれた。21世紀の幕開けを飾るイベントとなったパリ?ダカールのスタートである。今大会のパリダカは原点に帰り、パリをスタートしダカールに至るオーソドックスなコースとなり、エッフェル塔に隣接したシャン?ド?マルス広場は冒険者達の雄姿を一目見ようと多くの観衆で賑わった。
          この記念すべき大会に「TEAM SUGAWARA」は黒煙除去装置(DPF)を装着した日野レンジャーで参戦。チーム体制はドライバー?菅原義正、ナビゲーター?鈴木誠一、菅原照仁というクルーに、日野自動車よりマネージャー?鈴木浩一、エアメカ?宮澤潤一郎という布陣だ。
          パリをスタートしたレンジャーは、ヨーロッパステージを無難にこなし、モロッコに上陸。本格的なステージが始まった5日目には、早くも総合4番手に浮上し、ミッドシップの大排気量カミオンとがっぷり四つの戦いを展開した。
          砂丘の難易度が高いステージでは、各車両にトラブルが続出。レンジャーもパンクなどの小さなトラブルに見舞われたものの、サスペンションの改良が功を制し、連日の好タイムで休息日前までに総合3位に浮上。後半戦も難易度の高いステージが続く中、レンジャーは目立ったトラブルもなく安定した走りを見せ、遂に13日目に総合2位に躍進。最後の山場も好成績をおさめ、3位以下に10時間近い大差をつけてダカールにゴールを果たした。

        2000 日野レンジャーのパリダカ参戦10年目
        一時中止の変則レースも、総合5位、クラス優勝で結果を残す!

        2000
        • 2000年という節目の年の幕開けは、パリダカ史上初となるアフリカ大陸横断ルートとなった。
          スタートセレモニーのみはパリ?エッフェル塔脇で行われたものの、その後、各車両はフェリーにてダカールに運ばれ実質的な競技のスタートはダカールからという設定。
          日野レンジャーは今大会も「TEAM SUGAWARA」からのプライベート参戦。日野レンジャーとして節目となる10年目の参戦には、ドライバー?菅原義正、ナビゲーター?鈴木誠一、菅原照仁のクルーに、日野自動車よりエアメカ?矢口義光が加わり、最小限の体制ながらも万全な布陣で、エジプトのピラミッドを目指した。
          ダカールをスタートしたレンジャーは、序盤はトップ3に食い込む走りで順調な滑り出しを見せる。しかし6日目、選手達に「ラリーに対する大規模なテロが発生する可能性がある」という衝撃的なニュースが飛び込んできた。これに伴い主催者TSOは競技の一時中止を発表。安全が保障されるリビアへの空輸作戦を実施し、ラリーは5日間のステージがキャンセルとなった。5日間のブランクを経てリビアのサバから競技が再開され、残されたステージは7ステージ。この時点で僅差の5位につけるレンジャーは、リビア、エジプトの砂丘地帯で上位進出を目指した。しかし、レンジャーが得意とする砂丘地帯は現れず、大排気量のカミオンに徐々に差を広げられ、最終的に総合5番手を死守するとともに、クラス5連覇を果たし、ゴール地点である「ギザの3大ピラミッド」前を駆け抜けた。

        1999 9年目のパリダカ、日野レンジャーがクラス4連覇を果たす!
        大排気量のライバルひしめく総合部門でも4位を獲得

        1999
        • 日野レンジャーとして9年目の参戦となったパリダカールラリーは、ドライバー?菅原義正、ナビゲーター?松本尚子、菅原照仁にエアメカ?鈴木誠一という、これまでで最小限の編成でのプライベート参戦。スペインのグラナダをスタートし、サハラ砂漠を横断してセネガルのダカールへ至る総走行距離9,403kmを走破するコースだ。
          今回はカマズ、タトラのワークス勢はもちろんのこと、元WRCチャンピオンが駆るイヴェコも参戦を表明し、レンジャーの前に強敵が立ちはだかった。部門トップをきってスタートしたレンジャーだったが、序盤はライバルたちの先行をゆるすものの、難関の砂漠地帯で本領発揮し徐々に順位を上げ、クラス首位、部門5位に躍進。その後もコンスタントな走りを続け、前半戦をカミオン部門4位で折り返す。
          レンジャーは後半戦に入っても大排気量のモンスターカミオンと互角の走りを展開。ステージによってはトップタイムをマークするなど猛烈な追い上げを図った。結局そのままの順位でダカールへ到着。クラス1創設以来の4連覇は果たしたが、カミオン部門総合では4位に終わった。

        1998 パリダカ20周年の記念大会で、準優勝を獲得!
        義正氏ドライブの日野ライジングレンジャーが快挙達成

        1998
        • 1998年のパリダカールラリーは、20回目の記念イベントということもあってパリをスタートし、ダカールを目指すオーソドックスな設定。モーリタニアのサハラ砂漠をメインとした11,026kmをライバルたちと競うこととなったが、日野ライジングレンジャーは「TEAM SUGAWARA」からのプライベート体制で、菅原義正がレンジャーのハンドルを握り、2人のナビゲーターとともにメカニックとして鈴木誠一、菅原照仁の2名が同行するという体制で挑んだ。
          カミオン部門のトップゼッケンとなる400番をつけたレンジャーは、カミオンの先陣を切ってベルサイユ宮殿前をスタート。序盤は大排気量の三菱、タトラ、カマズ勢に先行をゆるしたものの、過酷な走行条件の砂漠地帯で徐々に順位をアップし、カミオン部門3位に浮上。リタイヤ車が続出する厳しい設定の中、激走を続け順位をさらに1つ上げ2位に。そして後半戦に入っても難易度の高いステージが続いたが、レンジャーは3ステージでSSトップを奪う快調な走りを見せ、ダカールのラック?ロゼのゴール地点に到着。今大会のカミオン部門の完走車は8台のみ、完走率は20%という過酷なレースの中、カミオン部門総合で準優勝、クラス別では3連覇と快挙を達成した。

        1997 日野ライジングレンジャーが史上初の総合?部門ともに1?2?3フィニッシュ!
        序盤のトラブルを乗り切り、義正は納得の総合2位

        1997
        • パリダカールラリー1997。「チームレンジャーHINO」は、より戦闘力の増したライジングレンジャー3台を投入した。1号車には日本人最多出場者でありカミオン部門での完走率100%を誇る菅原義正。2号車にライフ、3号車にはプティを起用した。ルートはパリダカ史上初の試み、ダカールを起点にアガデスを往復するコースで、木立の茂るブッシュ地帯が中心。そのため、砂丘でのテクニック勝負は望めず、車両の性能がそのまま順位に結びつく。
          盤石の体制でスタートした「チームレンジャーHINO」だが、最大のトラブルはなんと初日に発生する。序盤クラストップを快走していた義正氏の1号車が水温の異常な上昇に気付いてストップ。ラジエターのシェラウドカバー脱落が原因で、12位と大きく出遅れてしまう。他の2台も同様の症状に見舞われており、初日からメカニックは夜を徹して対応に追われることになったが、それ以降は好タイムを連発。2号車が連日トップタイムをマークし、ついに総合首位に立つ。1号車3号車も4、5位まで順位を上げ、好成績のまま中間地点となったアガデスを折り返す。
          後半戦に入り、日野チームにパリダカの天使が舞い降りる。2位につけていた最大のライバルがエンジントラブルで戦線を離脱。ついにライフの2号車、義正の1号車、プティの3号車の順で1-2-3体制を築く。そしてそのままダカールのラック?ロゼに「HINO」フラッグを高々と掲げた3台のレンジャーがゴールを決めた。日野チームが達成したカミオン部門での同一チームによる1-2-3フィニッシュはパリダカ史上初の快挙。もちろん国産トラック初のカミオン部門制覇であり、10リッター以下クラスの1-2-3フィニッシュを含め、記録ずくめの勝利となった。

        1996 義正組の1号車は、意地の走りで総合6位に!
        クラス別では、アルミボディーのレンジャーがワン?ツー?フィニッシュを飾る!

        1996
        • 新生「チームレンジャーHINO」が参戦するパリダカ1996大会は、スペインのグラナダをスタートし、モロッコ、モーリタニア、マリ、ギニアを経由し、セネガルのダカールに至る7,579km。距離こそ短いが、リエゾンの割合が少ない厳しいコース設定だ。
          J08C新型エンジンが搭載されたアルミボディーのライジングレンジャー2台には、1号車には菅原義正が、サポート役の2号車には柴田英樹が抜擢。また、1号車のナビゲーター松本尚子はカミオン部門初の日本人女性選手だ。
          レンジャーは初日から菅原組がクラストップを快走する強さを見せつけ、順調な滑り出し。サポート役の柴田組もノートラブルでモロッコを乗り切り、2台は徐々に本領を発揮。折り返し時には菅原組が部門7位、柴田組が同10位の好位置につけた。大会も終盤戦に入り、ついにクラス1、2位体制を確立。上位を狙える確実なポジションをキープし、じりじりと差を詰めていく展開だ。しかしその後木立の茂る追い越しの難しい状況が続き、我慢の走行を強いられる。それでも菅原組は意地の走りで順位を1つ上げ、最終日を迎えた。結局、日野ライジングレンジャーは新しく設定されたクラス別で見事1、2フィニッシュを飾ったものの、カミオン部門(総合)では6位、11位に終わり、念願の総合優勝は果たせなかった。

        1995 義正氏の粘りのドライブで、2年連続準優勝を果たす!
        日野参戦5年目のチャレンジで戦闘力を強化

        1995
        • 日野レンジャーにとって5度目のチャレンジとなった1995年のパリダカールラリーは、恒例のパリのスタートをスペインのグラナダへと移し、15日間でダカールを目指す10,109kmで競われた。
          今回から日野ライジングレンジャーでの参戦となり、大幅な軽量化が図られ戦闘力が一段と向上するとともに、カミオンでの参戦4年目となる菅原義正のもと、全国の販売会社から選抜者をエア?メカニックとして派遣する試みもスタートし、メカニックは4名に増員された。
          軽量化によってフットワークに磨きがかかったレンジャーは出だしから好調な走りを見せたが、その後超ハイスピードコースが続き、大排気量のモンスターカミオンにじわじわと引き離され、前半戦を6位で折り返した。後半戦の砂丘地帯で勝負に出たレンジャーは徐々に順位を盛り返し、パリダカの名所「ネガの谷」を越えた時点で4位、タトラをパスして3位まで順位を上げ、ギニアの熱帯雨林を抜けるSSでスパートをかけトップタイムをマーク。その後のロングステージでも果敢な走りを見せ、遂に2番手に。最後の最後まで僅差の戦いが続いたが、最終的に2位でフィニッシュし、2年連続準優勝の快挙を成し遂げた。

        1994 「死の砂漠」を超え、日本車初のカミオン部門で準優勝!
        義正氏、日野レンジャーで初の表彰台を獲得

        1994
        • 政情不安でアルジェリアの通過が不可能になり、参戦チーム数も減る中、パリダカールラリーが持つ本来のアドベンチャー性を取り戻すのは困難と思えた。だがパリダカの創生期を知るフヌイユ氏によって「パリ?ダカール?パリ」が提案された。そしてここに、文字通りパリからダカールへと向かい、再びパリへと戻る、走行距離13,000kmのまったく新しい戦いが始まった。
          アフリカの海岸線に沿って南下するルートは比較的難易度の低い設定だったが、岩場のステージが多く、ライバルのマシンが次々とトラブルに見舞われる。そんな中、プライベート参戦ながらパリダカの生き字引?菅原義正率いる「日野クルージングレンジャー」は、序盤から順調な走りで徐々に順位を上げ、ダカールでは3位にまでポジションアップを果たす。
          後半戦にはいよいよ砂丘が登場し、特に「死の砂丘」と名付けられた砂丘越えは、1台もキャンプ地に到達することができなかったという前代未聞のハプニングに見舞われキャンセルに。レンジャーもその砂丘と格闘しながらも、冷静な判断で乗り越え、2位に躍進。その後も順位をキープしたまま再びヨーロッパへ渡り、ゴール地点となったユーロ?ディズニーにタトラに続く2番手でフィニッシュ。
          国産車初となるカミオン部門準優勝を成し遂げた。

        1993 日野レンジャー、総合6位で完走を果たす!
        プライベーターでの出場も、菅原義正が怒涛のドライブ

        1993
        • 世界的な経済後退の影響で、参加台数が過去最低の規模となってしまったパリダカールラリー1993。日野自動車も例外ではなく、今大会からワークス体制は休止となり、ラリー活動はプライベートチームへの車両供給という形で継続された。それにともないチーム名も「チーム子連れ狼HINO」と一新。日野クルージングレンジャー1台に、経験豊富な菅原義正をドライバーに、ナビゲーター1名、日野自動車から派遣された2名のメカニックのみで、8,900kmの長丁場を戦うこととなった。
          ラリーはパリをスタートし、モロッコに上陸。その後、アルジェリアとモーリタニアの砂漠地帯を巡りダカールを目指すオーソドックスなものだが、全SSを通じて通過する集落がわずか4カ所という厳しい設定だ。レンジャーは1台だけの参戦ながらプロローグランで2番手につけるなど幸先の良いスタートを見せる。
          しかし、アフリカに入って2日目、1,044kmに及ぶ今大会最長のSSは砂丘と岩場の連続で熾烈を極め、レンジャーの到着は翌朝の8時過ぎとなりペナルティの対象に。ここで順位を落としてしまったレンジャーだが、その後はその鬱憤を晴らすような走りで好タイムを連発。最終のアタール~ヌアクショット間のステージではトップタイムをマーク。猛烈な追い上げを見せ、半数以上がリタイヤを期したなか、レンジャーはダカールのゴールを6位で駆け抜けた。

        1992 菅原義正、初挑戦のカミオンドライバーとして6位入賞!
        日野レンジャーの4台すべてがトップ10入りを果たす

        1992
        • 「エキップ?カミオン?HINO」の2年目の挑戦には、パリから喜望峰を目指すアフリカ大陸縦断という、前例のない過酷な舞台が用意された。大自然の驚異が冒険者たちに襲いかかる、赤道越えのラリーの走行距離は実に13,000km。この前人未踏のラリーに4台の日野クルージングレンジャーが挑んだが、その中に日本人初のカミオンドライバーとして、菅原義正の名が新たに加わることとなった。
          それぞれ緑、青、黄色、赤のゼブラカラーに彩られたレンジャーは、出だしから2号車が3位につけるなど好調な滑り出しを見せ、他チームのカミオンがトラブルを抱えるなか、大きなトラブルもなく4台揃っての快走が続いた。しかし赤道付近にさしかかるとコースが一変。中盤以降はジャングルの中に続く一本道での争いとなり、抜くに抜けない我慢の展開に。そのような中でもレンジャーは持ち前の機動力を発揮し、SSでワン?ツー?フィニッシュを飾るなどの活躍を見せた。
          好調を持続するレンジャーにも終盤にトラブルが発生する。2号車のトランスミッションにトラブルが見つかり、やむなく3号車のミッションと交換するなど予想外の展開が。そんな中でも初出場の菅原組は終盤のSSでトップタイムをマークするなど、堅実な走りで存在感をアピール。カミオンの強豪ペルリーニ、タトラには後塵を拝したが、最終的にはケープタウンのゴールにゼブラカラーのレンジャーは1台もかけることなくゴール。前年を上回る成績で4台すべてがトップ10に入る好成績を上げた。初出場となった菅原組(4号車)は、全体の6位でゴール。2号車が4位、1号車が5位、3号車が10位という結果だった。

        1991 1991年日野自動車がクルージングレンジャーで「パリダカ」に初参戦!

        1991
        • 初参戦の結果
          1号車(ジョッソー/ユイネン組)7位
          2号車(シュマラン/柴田組)リタイヤ
          3号車(ライフ/ダインホッファー組)10位
          4号車(プティ/デュバック組)14位